ホーム > ちょっといいこんなこと / 出来事 今朝は仏送り。 :カウンター= 68 今朝は仏送り。朝5時過ぎから、部落の皆さんが三々五々清崎橋の下に出かけて仏送りをしました。昔は、文字通り仏壇の供え物や花を川に流していましたが、今は写真のように河原で燃やしています。盆の行事は、今日の夕方の送り火、墓に火を灯して盆行事が終わりです。いまだに新型コロナは収まらず、部落の納涼祭も3年連続で中止になりましたが、各家では久しぶりの帰省者もあったようです。 2件のフィードバック コメント 2 ピンバック 0 お地蔵さんにたくさんのお供え物があり、お盆を感じます。 お盆が終わるときれいにかたずけられ、鷲峯の皆さんの信心を感じます。 我が家は仏教でないので、お地蔵さんにお参りしたことがないのですが、先日ふとこんなことを感じました。 13日の朝、お地蔵さんの花たてに1本の花もたててなく、お盆になるのに誰がたてるものだろうと気になりました。 家族に尋ねると「お地蔵さんは鷲峯の守り神さんだけみんなでお世話するだ」と。 鷲峯の人間になって57年、初めて聞きました。 なんとなく納得がいかず、いろいろ調べてみました。 お地蔵さんは、子供の守り神でもあり、年よりの守り神でもあり、地域の守り神でもあり、旅人の守り神でもあると。 認識不足でした。 また、鷲峯のお地蔵さんは大水の時流されそうになったのを鷲峯の人達が移動させて、今の場所に安置したそうです。 57年お参りしなかったぶん、今日からお地蔵さんしますので、どうかご利益をお願いします。 ちんころさん、こんな理解でいいでしようか。 返信 お地蔵さんの引っ越し、そんなことがあったんですね。 何となくお地蔵さんは子供を守ってくれる仏さん、そんな風に聞かされて時期々の墓参りの際には当たり前にお参りして来ました。 本物の”ちんころ”は神様にお仕えする存在ですが、本ブログのちんころは信心とは無縁です。あえて考えると、自分の思いや行い、それを自身がどう受け止めるか、ということでしょうか。水場に放置されている空き缶を見て、”ん~ン”と思ってしまうようではダメ(雑念にとらわれず、自然体で空き缶を片付けられるようにならないといけません)ですね。ちんころは、まだまだ修行が足りません。 返信 コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 コメントする下のファイル選択ボタンで写真を添付できます(写真2枚以内、サイズ上限は計3MB)。Δ
お地蔵さんにたくさんのお供え物があり、お盆を感じます。 お盆が終わるときれいにかたずけられ、鷲峯の皆さんの信心を感じます。 我が家は仏教でないので、お地蔵さんにお参りしたことがないのですが、先日ふとこんなことを感じました。 13日の朝、お地蔵さんの花たてに1本の花もたててなく、お盆になるのに誰がたてるものだろうと気になりました。 家族に尋ねると「お地蔵さんは鷲峯の守り神さんだけみんなでお世話するだ」と。 鷲峯の人間になって57年、初めて聞きました。 なんとなく納得がいかず、いろいろ調べてみました。 お地蔵さんは、子供の守り神でもあり、年よりの守り神でもあり、地域の守り神でもあり、旅人の守り神でもあると。 認識不足でした。 また、鷲峯のお地蔵さんは大水の時流されそうになったのを鷲峯の人達が移動させて、今の場所に安置したそうです。 57年お参りしなかったぶん、今日からお地蔵さんしますので、どうかご利益をお願いします。 ちんころさん、こんな理解でいいでしようか。 返信
お地蔵さんの引っ越し、そんなことがあったんですね。 何となくお地蔵さんは子供を守ってくれる仏さん、そんな風に聞かされて時期々の墓参りの際には当たり前にお参りして来ました。 本物の”ちんころ”は神様にお仕えする存在ですが、本ブログのちんころは信心とは無縁です。あえて考えると、自分の思いや行い、それを自身がどう受け止めるか、ということでしょうか。水場に放置されている空き缶を見て、”ん~ン”と思ってしまうようではダメ(雑念にとらわれず、自然体で空き缶を片付けられるようにならないといけません)ですね。ちんころは、まだまだ修行が足りません。 返信
お地蔵さんにたくさんのお供え物があり、お盆を感じます。
お盆が終わるときれいにかたずけられ、鷲峯の皆さんの信心を感じます。
我が家は仏教でないので、お地蔵さんにお参りしたことがないのですが、先日ふとこんなことを感じました。
13日の朝、お地蔵さんの花たてに1本の花もたててなく、お盆になるのに誰がたてるものだろうと気になりました。
家族に尋ねると「お地蔵さんは鷲峯の守り神さんだけみんなでお世話するだ」と。
鷲峯の人間になって57年、初めて聞きました。
なんとなく納得がいかず、いろいろ調べてみました。
お地蔵さんは、子供の守り神でもあり、年よりの守り神でもあり、地域の守り神でもあり、旅人の守り神でもあると。
認識不足でした。
また、鷲峯のお地蔵さんは大水の時流されそうになったのを鷲峯の人達が移動させて、今の場所に安置したそうです。
57年お参りしなかったぶん、今日からお地蔵さんしますので、どうかご利益をお願いします。
ちんころさん、こんな理解でいいでしようか。
お地蔵さんの引っ越し、そんなことがあったんですね。
何となくお地蔵さんは子供を守ってくれる仏さん、そんな風に聞かされて時期々の墓参りの際には当たり前にお参りして来ました。
本物の”ちんころ”は神様にお仕えする存在ですが、本ブログのちんころは信心とは無縁です。あえて考えると、自分の思いや行い、それを自身がどう受け止めるか、ということでしょうか。水場に放置されている空き缶を見て、”ん~ン”と思ってしまうようではダメ(雑念にとらわれず、自然体で空き缶を片付けられるようにならないといけません)ですね。ちんころは、まだまだ修行が足りません。